水素サプライチェーンの出発点は「どうやって水素をつくるか」です。再生可能エネルギーの電力で水を分解するグリーン水素と、天然ガス改質にCO2回収・貯留(CCS)を組み合わせるブルー水素。この二つの低炭素水素をめぐって、製造技術・立地・コストの競争が世界で進んでいます。本ページでは、水素製造の技術と市場の現況を報告します。
水素製造方式の全体像
水素の製造方法は大きく三つに分けられます。第一に、天然ガスや石炭を高温で反応させる「化石燃料改質」。現在の世界供給の9割以上を占め、CCSを付ければブルー水素になります。第二に、電気で水を水素と酸素に分解する「水電解」。再エネ電力を使えばグリーン水素となります。第三に、製鉄所のコークス炉や苛性ソーダ工場から出る「副生水素」で、日本国内では純水素型燃料電池や水素ステーションの貴重な供給源となってきました。
図1 主な水素製造方式の比較
| 方式 | 原料・エネルギー | 製造コストの目安 | 特徴 |
|---|---|---|---|
| 水蒸気改質(グレー) | 天然ガス | 1〜3ドル/kg | 成熟技術で最安。CO2を大量排出 |
| 改質+CCS(ブルー) | 天然ガス+CO2貯留 | 1.5〜4ドル/kg | ガス安価な米国・中東で優位。CCS適地が必要 |
| 水電解(グリーン) | 再エネ電力+水 | 4〜8ドル/kg | 製造時CO2ゼロ。電力価格と設備利用率が鍵 |
| 副生水素 | 既存工場の副産物 | 安価(追加コスト小) | 量に限りがあるが即時利用可能 |
コストは地域・前提条件により大きく変動します。IEA等の公表レンジをもとにした目安です。
どの方式が主流になるかは地域の資源条件に依存します。安価な天然ガスとCCS適地を持つ米国・中東はブルー水素、再エネ適地が広大な豪州・中東・南米・中国内陸部はグリーン水素という住み分けが進んでおり、資源条件に恵まれない日本や韓国、欧州の一部は「海外から低炭素水素を輸入する」サプライチェーン構築を戦略の柱に据えています。
なお、副生水素の役割も見逃せません。苛性ソーダ工場や製鉄所コークス炉から発生する水素は、すでに精製・供給の実績があり、燃料電池や水素ステーション向けの初期需要を支えてきました。量に上限はあるものの、新設投資を最小限に抑えて足元の水素需要に応えられる「つなぎの供給源」として、低炭素水素が本格化するまでの移行期に重要な位置を占めています。
グリーン水素の心臓部 水電解装置の技術競争
グリーン水素の製造コストと品質を左右するのが水電解装置(エレクトロライザー)です。現在実用化・開発されている方式は主に四つあり、それぞれ一長一短があります。
- アルカリ水電解(AWE): 最も歴史が長く安価。大型化に向くが、負荷変動への追従がやや苦手。中国勢の主力で、旭化成も10MW級大型モジュールを展開
- PEM(プロトン交換膜): 起動が速く再エネの出力変動に強い。イリジウムなど希少金属を使うためコスト高。欧米勢と東芝などが注力
- SOEC(固体酸化物形): 高温で動作し電解効率が最も高い。工場排熱との組み合わせで真価を発揮する次世代本命の一つ
- AEM(アニオン交換膜): アルカリの安さとPEMの応答性の両立を狙う新方式。スタートアップの参入が活発
技術面と同じくらい重要なのが製造能力の地政学です。世界の電解槽製造能力は中国が過半を握るとされ、中国製アルカリ電解槽の価格はkWあたり300ドル前後と、欧米製(1,000ドル超)の3分の1以下に達しています。太陽光パネルや蓄電池で起きた「中国製造業による価格破壊」が水電解装置でも進行しており、欧米メーカーの受注低迷・リストラが相次ぐ一方、導入側にとってはグリーン水素のコスト低下要因となる。この二面性が業界の大きな論点です。詳細はブログ記事「電解槽メーカー世界競争の行方」でも掘り下げています。
技術開発の焦点は、スタック(電解セルの積層体)の大型化と部材の高性能化に移っています。電流密度を高めて同じ設備面積からより多くの水素を得る改良、希少金属であるイリジウム使用量の削減、隔膜・電極の耐久性向上などが競争軸であり、素材メーカーの貢献余地が大きい領域です。装置価格の低下が続く一方で、20年におよぶ稼働期間の効率維持と保守性こそが総コストを左右するため、「安さ」と「信頼性」のバランスが調達判断の核心になっています。
国内の製造プロジェクト FH2Rとやまなしモデル
国内のグリーン水素製造で先行するのが、福島県浪江町の「福島水素エネルギー研究フィールド(FH2R)」です。東芝エネルギーシステムズ・東北電力・岩谷産業などが参画し、20MWの太陽光発電と10MWの水電解装置(旭化成製アルカリ型)を組み合わせた世界最大級のPower to Gas実証拠点として2020年に稼働しました。製造した水素は県内の燃料電池や水素ステーションに供給され、再エネ変動吸収と水素製造を両立させる運用ノウハウを蓄積しています。
もう一つの注目例が山梨県の「やまなしモデルP2Gシステム」です。山梨県企業局・東レ・東京電力ホールディングスなどが開発したPEM型水電解システムで、工場の屋根上太陽光と組み合わせて敷地内でグリーン水素を製造・利用する「地産地消型」を特徴とします。サントリーの天然水工場への大規模導入をはじめ、県外の工場・施設への展開が進んでおり、輸入大規模水素とは異なる分散型水素サプライチェーンのモデルとして評価されています。このほか、北海道・九州など再エネ適地での製造実証、苛性ソーダ由来の副生水素活用、下水汚泥由来水素など、地域資源を生かした多様な取り組みが動いています。
装置メーカー側の動きも活発です。旭化成は食塩電解で培ったアルカリ電解技術をベースに10MW級の大型モジュールを商用展開し、カナデビア(旧日立造船)は下水処理場などへの中小型水電解装置の納入実績を積み重ねています。東芝エネルギーシステムズはPEM型で大出力化を進め、三菱重工はSOECを含む次世代方式の開発を推進中です。国内メーカーに共通するのは、単体の装置売りではなく、再エネとの統合制御や保守までを含むシステムとして提供する戦略です。
ブルー水素とCCS 移行期の現実解
グリーン水素のコストが十分下がるまでの移行期において、量とコストを両立できる現実解と目されるのがブルー水素です。天然ガスの水蒸気改質や自己熱改質(ATR)で水素を製造し、発生するCO2の9割前後を回収して地下に貯留します。ガス価格が安く、枯渇ガス田や帯水層といったCCS適地に恵まれた米国メキシコ湾岸や中東では、既存の石油ガス産業のインフラと人材をそのまま活用できるため、大型案件の最終投資決定が相次いでいます。
ブルー水素の多くは、輸送しやすいブルーアンモニアに転換されて日本や韓国へ輸出される計画です。日本企業も三井物産・三菱商事・JERAなどが米国・中東のアンモニア製造プロジェクトに出資参画しており、水素サプライチェーンの上流権益確保という商社型のビジネスモデルが形成されつつあります。一方で、メタン漏えいを含めたライフサイクル全体の排出評価や、CCSの長期的な信頼性への監視は強まっており、「どこまで低炭素なら支援対象か」という認証基準が事業成立の鍵を握ります。
国内でもCCSの制度整備が始まっています。2024年にCCS事業法が成立し、貯留事業の許可制度が整いました。北海道苫小牧での実証で累計30万トンのCO2圧入実績があるほか、国が支援する先進的CCS事業として複数の候補地域で調査が進んでいます。国内の貯留適地には限りがあるため、CO2を液化して海外の貯留地へ運ぶ「CCSバリューチェーン」の構築も検討されており、水素・アンモニアの輸入と対になる新たな海上輸送ビジネスとして注目されています。
海外大型プロジェクトの実装状況
世界のグリーン水素で最大の注目案件が、サウジアラビアの未来都市NEOMで建設中の「NEOMグリーンハイドロジェン」です。太陽光・風力あわせて約4GWの再エネと2.2GWの水電解装置により日量最大600トンの水素を製造し、グリーンアンモニアとして全量を輸出する計画で、総投資額は84億ドル。2026年の生産開始を目指して建設が最終盤に入っており、「グリーン水素の国際サプライチェーン」の最初の商用実証として世界が成否を注視しています。
中国では内モンゴル自治区や新疆ウイグル自治区で、風力・太陽光と一体化した数十万kW級の水電解プロジェクトが多数進行し、製造したグリーン水素を化学プラントの原料に使う「域内完結型」の実装が先行しています。欧州では北海の洋上風力と組み合わせた電解プロジェクトやスペイン・北欧の案件が欧州水素銀行の支援を受けて進む一方、コスト高による計画見直しも頻発しており、玉石混交の状態です。豪州では大型構想の中止が相次ぎましたが、これは水素社会の現在地で述べた「選別と実装の時代」の象徴といえます。
欧州で象徴的なのは、シェルがロッテルダム港で建設を進める200MW級の水電解プラント「Holland Hydrogen I」です。洋上風力の電力で製油所向けのグリーン水素を製造する計画で、既存需要への供給という手堅い設計が特徴です。大規模案件の成否を分けているのは、再エネ電源の確保、確実な引き取り手、そして支援制度の三点セットであり、この条件が揃った案件だけが建設段階へ進んでいるのが世界共通の現実です。
製造コストの現在地と低減の道筋
グリーン水素の製造コストは、電力価格・設備利用率・電解槽の設備投資(CAPEX)の三要素でほぼ決まります。現状では4〜8ドル/kg程度とされ、1〜3ドル/kgのグレー水素との差は依然大きいのが実情です。ただし、再エネ発電コストの継続的な低下、中国製電解槽の価格破壊、大型化による規模の経済が同時に進んでおり、条件の良い地域では2030年前後に2ドル/kg台への到達が視野に入るとの予測もあります。
コスト低減の速度は「学習率」で語られます。太陽光パネルは累積生産量が倍増するごとに約2割の価格低下を続けてきましたが、電解槽も同様の学習効果が観測され始めています。設備が大型化・標準化され、プロジェクトの反復で建設ノウハウが蓄積されるほど、キロワットあたりの総投資額は下がります。逆にいえば、初期案件の実績づくりが遅れる地域はコスト低減の波にも乗り遅れるため、各国が補助金を投じてでも初期市場を立ち上げようとしているのです。
図2 水素製造コストの構造(グリーン水素の例)
構成比は電力価格・設備利用率の前提により変動します。電力費の低減がコスト低減の最大のレバーです。
コスト構造が示すとおり、グリーン水素の競争力は「安い再エネ電力をどれだけ高い利用率で使えるか」に尽きます。だからこそ製造適地は再エネ資源国に偏り、消費国である日本にとっては輸送・貯蔵のコストを含めたサプライチェーン全体の最適化が課題となります。次のレポート輸送・貯蔵技術では、その鍵を握る水素キャリアの競争を報告します。