REPORT 03

水素の輸送・貯蔵技術 キャリア競争の現況

液化水素・MCH・アンモニア 「運び方」が水素サプライチェーンの勝敗を分ける

水素は最も軽い気体であり、体積あたりのエネルギー密度が極めて低いという物理的宿命を抱えています。だからこそ「どう運び、どう貯めるか」が水素サプライチェーン最大の技術課題であり、日本企業が世界をリードしてきた領域でもあります。本ページでは、液化水素・MCH・アンモニアという三大キャリアの競争と、パイプライン・貯蔵・受入拠点の現況を報告します。

このページの要点: 国際輸送のキャリアは液化水素・MCH・アンモニアの三つ巴で、それぞれ川崎重工、千代田化工建設・ENEOS、商社・電力各社が実証を積み上げています。当面の物量ではアンモニアが先行しつつ、純水素が必要な用途では液化水素とMCHが競い合う構図です。

水素キャリアの全体像 三つ巴の競争

気体のままの水素は、パイプラインを除けば長距離大量輸送に向きません。そこで水素を「運びやすい形」に変換するのが水素キャリアです。マイナス253度まで冷やして液体にする液化水素、トルエンと化合させて常温常圧の液体にするMCH(メチルシクロヘキサン)、窒素と合成してアンモニアにする方法が三大候補で、それぞれ変換・再変換のエネルギーロスとインフラ成熟度が異なります。

図1 主要水素キャリアの比較

キャリア状態・条件長所課題
液化水素-253℃の極低温液体純水素のまま輸送。再ガス化が容易で高純度用途に直結液化に大きな電力。ボイルオフ対策と専用船・基地が必要
MCH常温常圧の液体(トルエン化合)既存の化学タンカー・石油タンクを転用可能脱水素に熱が必要。トルエンの循環管理
アンモニア-33℃または加圧で液化既存の運搬船・受入基地が世界に多数。直接燃焼も可能毒性への対応。水素に戻す分解(クラッキング)は開発途上
パイプライン圧縮気体大量・安価・連続輸送が可能敷設投資が巨額。既存ガス管の転用検証が必要

用途(純水素が必要か、燃料として燃やすか)と距離・物量によって最適キャリアは変わります。

重要なのは「勝者が一つに決まる競争ではない」という点です。発電用の燃料ならアンモニアのまま燃やすのが合理的であり、燃料電池や半導体製造など高純度水素が必要な用途では液化水素やMCHが優位です。サプライチェーンの設計は用途側の需要構成から逆算する必要があります。

国内の短中距離輸送では、20MPa級の圧縮水素をトレーラーで運ぶ方式が現在の主流です。カードル(集合容器)やローリーによる配送は産業ガス各社の既存事業であり、水素ステーションの多くもこの方式で供給を受けています。輸送効率は液化水素の数分の一にとどまるため、需要の拡大に伴い、国内でも液化水素ローリーやパイプラインへの移行、より高圧の容器規格の整備が段階的に進む見通しです。

液化水素 「すいそ ふろんてぃあ」から大型商用船へ

液化水素の国際輸送で世界の先頭を走るのが川崎重工業です。同社が建造した世界初の液化水素運搬船「すいそ ふろんてぃあ」(タンク容量1,250立方メートル)は、2022年に豪州ビクトリア州の褐炭由来水素を神戸へ海上輸送する世界初の実証(HySTRAプロジェクト)を成功させました。LNG船で培った極低温技術を水素に応用した、日本の造船・重工業の技術力を象徴するプロジェクトです。

現在の焦点は商用規模への大型化です。川崎重工は容量16万立方メートル級(4基の球形タンクを搭載)の大型液化水素運搬船を開発中で、船級協会から基本設計承認(AiP)を取得済み。2020年代後半の商用サプライチェーン開始を目標に、液化設備・受入基地・陸上タンクを含むチェーン全体の技術開発を進めています。神戸空港島には液化水素の受入実証基地「Hy touch神戸」が整備され、岩谷産業とともに受入・貯蔵・払出の運用ノウハウを蓄積しています。液化水素は輸送中に蒸発するボイルオフガスの処理が課題ですが、これを船の推進燃料に使う設計など、LNG船の経験を生かした工夫が盛り込まれています。

陸側の設備も進化しています。液化水素の製造には現在1日数トン級の液化機が使われていますが、商用チェーンには1日数十トン級の大型液化機が必要となり、国内外で開発競争が進んでいます。液化工程は水素の持つエネルギーの3割前後を消費するため、液化効率の改善はチェーン全体のコストと排出量に直結します。岩谷産業は国内液化水素市場のほぼ全量を供給しており、その製造・物流ノウハウは商用チェーン立ち上げの基盤になっています。

[PR]

MCH 既存インフラを使える常温常圧キャリア

MCH(メチルシクロヘキサン)は、トルエンに水素を化合させてつくる常温常圧の液体で、性状が石油製品に近いため、既存のケミカルタンカーや石油タンクをほぼそのまま転用できるのが最大の強みです。千代田化工建設が「SPERA水素」の商標で技術を確立し、2020年にはブルネイで製造したMCHを川崎の臨海部へ海上輸送し、脱水素して発電に使う世界初の国際実証(AHEADプロジェクト)を完了しました。

MCHの弱点は、水素を取り出す脱水素工程に熱エネルギーが必要なことと、相棒であるトルエンを産地へ送り返す往復輸送が発生することです。これに対しENEOSは、トルエンと水を電気化学的に直接反応させてMCHを一段で合成する「Direct MCH」技術を開発し、変換効率の改善を図っています。同社は豪州や中東でのMCH製造・輸入チェーン構築を検討しており、製油所インフラを持つ石油元売ならではの戦略として注目されます。脱水素で生じる熱需要を製油所・化学プラントの排熱と統合できるコンビナート立地では、MCHの経済性は大きく改善します。

MCH陣営の強みは、既存インフラ転用による初期投資の低さと、常温輸送ゆえの取り扱いやすさにあります。三菱商事や三井物産もMCHを含む多様なキャリアの海外案件を検討しており、キャリア選択は「どの技術が優れているか」ではなく「案件ごとの産地・距離・用途の組み合わせ」で決まる実務的な問題になっています。トルエンの代わりに別の芳香族化合物を使う次世代有機ハイドライドの研究も進み、キャリア技術の選択肢は今後さらに広がる見込みです。

アンモニア 物量で先行する「兼用」キャリア

アンモニアは肥料・化学原料として年間約2億トンが生産・取引されている成熟商品であり、運搬船・貯蔵タンク・港湾設備が世界中に既に存在します。この「インフラの既製服」を着られる点で、水素キャリアとしての立ち上がりはアンモニアが最速です。しかもアンモニアは水素に戻さず、そのまま火力発電の燃料や船舶燃料として燃やすことができるため、「キャリア」と「燃料」の兼用という独自の地位を占めています。

日本ではJERAが石炭火力でのアンモニア混焼を実証し(詳細は発電・産業利用)、燃料アンモニアの長期調達契約や上流投資に商社・電力が相次いで参画しています。一方、アンモニアから高純度水素を取り出すクラッキング(分解)技術はまだ商用化の途上にあり、「アンモニアで運んで水素として使う」チェーンの成立にはもう一段の技術開発が必要です。また毒性・腐食性への安全対策、燃焼時のN2O(温室効果の高い亜酸化窒素)抑制など、拡大に伴う管理課題も指摘されています。

アンモニアを水素に戻すクラッキング技術では、日本勢を含む各社が大型化の開発を競っています。分解には高温が必要でエネルギーロスが生じるため、排熱の活用や触媒の低温化が技術の焦点です。クラッキングが商用レベルに達すれば、「豊富な既存インフラで運べるアンモニア」と「純水素が必要な用途」が直結され、キャリア勢力図が大きく動く可能性があります。国内では受入基地に隣接した分解装置の実証が計画されています。

[PR]

パイプラインと大規模貯蔵

陸続きの欧州では、水素パイプライン網の整備が国際サプライチェーンの本命です。欧州のガス輸送事業者が共同で描く「European Hydrogen Backbone」構想は、2040年までに5万km超の水素パイプライン網を整備する計画で、その6〜7割は既存の天然ガス管の転用を想定しています。ドイツは国内約9,000kmの水素コアネットワーク整備を法制化し、南欧と北欧の再エネ水素を工業地帯へ運ぶ幹線の建設が始まっています。

貯蔵の分野では、岩塩層をくり抜いた「岩塩空洞(ソルトキャバーン)」への大規模水素貯蔵が米国・英国・ドイツで実用化されており、季節をまたぐエネルギー貯蔵の切り札とされています。日本には岩塩層がないため、高圧タンク・液化水素タンク・MCHタンクといった地上貯蔵が中心となり、この地質条件の違いが日本の水素コストに不利に働く要因の一つです。国内では都市ガス各社が既存導管への水素混入(ブレンディング)や純水素導管の実証を進めており、コンビナート内の自営配管から段階的に水素配管網を広げるアプローチが現実的とみられています。

国内の貯蔵では、球形タンクや平底タンクといった液化水素貯槽の大型化が進むほか、使用済みLPガス設備の転用検討、水素吸蔵合金による安全性の高い小規模貯蔵、有機ハイドライドのタンク貯蔵など、立地と用途に応じた多様な選択肢が検討されています。季節間の需給ギャップを埋める大容量貯蔵をどう確保するかは、再エネ比率が高まる2030年代の電力システムにとっても本質的な論点です。

受入拠点の形成 拠点整備支援が動かすコンビナート

輸入した水素・アンモニアを受け入れ、貯蔵し、需要家へ配送する受入拠点(ターミナル)は、水素サプライチェーンの結節点です。日本の水素社会推進法に基づく拠点整備支援は、まさにこの共用インフラへの投資を後押しする制度で、既存の石油・化学コンビナートを水素・アンモニア拠点へ転換する構想が、川崎臨海部、周南、堺・泉北、名古屋港など全国の臨海工業地帯で進んでいます。

拠点形成のポイントは「需要の束ね」です。製油所・化学・発電所・製鉄所といった大口需要家が集まるコンビナートであれば、一つの受入基地とタンクを複数社で共用でき、インフラコストを大幅に圧縮できます。タンク・ローディングアーム・防消火設備といった港湾機器、極低温配管や計量システムなど、拠点整備はエンジニアリング企業・機器メーカーにとって確実性の高い事業機会となっており、将来展望で述べる事業機会マップの中核を占めています。

制度面では、2022年の港湾法改正で「カーボンニュートラルポート(CNP)」形成計画が制度化され、全国の主要港湾で水素・アンモニア受入を組み込んだ港湾脱炭素化推進計画の策定が進んでいます。港湾は輸入エネルギーの玄関口であると同時に、荷役機械や停泊船舶への燃料供給という域内需要も持つため、受入・貯蔵・利用が一体となった水素拠点の最有力候補地です。港湾管理者・立地企業・エネルギー事業者の三者連携が、拠点形成の実務上の推進体制になっています。