水素サプライチェーンが事業として成立するかどうかは、最終的に「誰が大量の水素を買い続けるか」で決まります。その答えの最有力候補が、発電と重工業です。1基の発電所、1つの製鉄所が生む水素需要は、FCV数十万台分に匹敵します。本ページでは、水素・アンモニア発電、水素還元製鉄、化学利用、定置用燃料電池という需要側の最前線を報告します。
アンモニア混焼 JERA碧南の実証が示したもの
石炭火力の燃料の一部をアンモニアに置き換える混焼発電は、日本発の脱炭素技術として世界の注目を集めてきました。JERAとIHIは2024年、愛知県の碧南火力発電所4号機(100万kW級の大型商用機)で燃料の20%をアンモニアに転換する世界初の実証運転を行い、ボイラーの安定燃焼と窒素酸化物(NOx)の抑制を確認しました。大型商用炉での20%混焼成功は、燃料アンモニアが「実験室の話」ではなく商用オペレーションに耐えることを示した画期といえます。
JERAは2020年代後半の20%混焼の本格運用開始、将来的には50%混焼から専焼への移行を視野に入れており、それに必要な燃料アンモニアの長期調達に向けて、米国・中東のブルーアンモニア製造プロジェクトへの参画を進めています。混焼比率20%でも大型石炭火力1基あたり年間約50万トンのアンモニアが必要となる計算で、この物量が輸送・貯蔵で述べた国際サプライチェーンの投資を正当化する需要のアンカーとなります。一方で、混焼は石炭火力の延命策だとする批判も国際的にはあり、混焼比率の引き上げとライフサイクルでの排出削減の立証が、この技術路線の説得力を左右します。
発電コストの面では、アンモニア混焼のkWh単価は燃料価格に大きく依存し、現状では石炭専焼より確実に割高です。この差を埋める仕組みが、値差支援と長期脱炭素電源オークションという二つの制度です。前者が燃料価格の差を、後者が発電設備投資の回収を支えることで、発電事業者は20年単位の投資判断が可能になります。制度に支えられた初期需要が燃料アンモニアの物量を生み、輸送・貯蔵コストの低下が次の案件の採算を改善するという好循環の入口に、業界は立っています。
水素ガスタービン 三菱重工の挑戦
天然ガス火力の脱炭素化の本命が、燃料に水素を使うガスタービン発電です。三菱重工業は兵庫県高砂市の高砂製作所に、水素の製造から発電実証までを一貫して行える世界初の拠点「高砂水素パーク」を整備し、出力40万kW級の大型ガスタービン(JAC形)で水素30%混焼の実証に成功しています。小型ガスタービンでは水素100%専焼の燃焼技術も確認しており、2030年頃の大型機での専焼実現を目標に開発を進めています。
水素は天然ガスに比べて燃焼速度が速く火炎温度が高いため、逆火(フラッシュバック)の防止とNOx抑制を両立する燃焼器の設計が技術の核心です。三菱重工・川崎重工・IHIの3社はいずれも独自の燃焼技術を持ち、ガスタービンの世界市場で欧米勢(GE Vernova、シーメンス・エナジー)と競っています。国内の制度面では、脱炭素電源への新規投資を長期に支える「長期脱炭素電源オークション」に水素・アンモニア混焼案件が応札・落札しており、発電事業としての投資回収の道筋が制度的に整いつつあります。既設のLNG火力を水素対応に改修する「水素レディ」化も、電力会社の設備計画の標準項目になり始めました。
ガスタービンと並び、水素を燃料とする「水素エンジン」の開発も広がっています。川崎重工やヤンマーなどが発電用・船舶用の水素エンジンを開発し、離島や工場向けの分散電源、港湾内船舶への適用が視野に入ります。ガスタービンが大規模集中型の脱炭素を担うのに対し、エンジンは中小規模の分散需要を拾う役割を果たし、両者が補完し合う形で水素発電の裾野を広げていく構図です。
水素還元製鉄 鉄鋼業の命運を握る技術
鉄鋼業は世界のCO2排出の約7〜8%を占める最大級の排出産業であり、その根本原因は鉄鉱石の還元に石炭(コークス)を使う高炉プロセスにあります。炭素の代わりに水素で鉄鉱石を還元できれば、副産物は水になり、製鉄は劇的に脱炭素化します。これが水素還元製鉄であり、鉄鋼各社の存続を賭けた開発競争の主戦場です。
日本製鉄は、高炉内に加熱した水素を吹き込む「Super COURSE50」技術の実機試験で、CO2排出33%削減を達成しました。今後は実用高炉での大規模実証に進み、2040年代の実装を目指しています。並行して、水素で直接還元鉄(DRI)を製造し電炉で溶かす方式の開発も、日本製鉄・JFEスチール・神戸製鋼所がそれぞれ進めており、GX支援の代表案件として大型の政府支援が投じられています。海外ではスウェーデンのHYBRITプロジェクトが化石燃料フリーの鋼材を試験出荷済みで、欧州では グリーンスチールの長期購入契約を自動車メーカーが結ぶ動きが広がっています。
需要側の変化も追い風です。自動車・建設・家電の大手には、サプライチェーン全体の排出削減(スコープ3)の観点から低炭素鋼材の調達目標を掲げる企業が増えており、グリーンスチールには通常鋼材への上乗せ価格(プレミアム)を払う商談が成立し始めています。「環境価値が価格になる」市場の形成は、水素還元製鉄への巨額投資を正当化する必要条件であり、素材の川下企業の調達方針が水素需要を左右するという新しい構図が生まれています。
水素還元製鉄が本格化した場合の水素需要は桁違いです。大型製鉄所1カ所で年間数十万トン規模の水素が必要になるとされ、これは現在の国内水素流通量を大きく上回ります。製鉄向けの安価な水素の大量供給体制をどう築くかは、将来展望で述べる2040年シナリオの中心的な論点です。
化学・製油所 既存需要の置き換えという足元の市場
忘れられがちですが、水素の最大の既存ユーザーは化学産業と製油所です。アンモニア合成・メタノール合成・石油精製の水素化処理は、いずれもグレー水素を大量に使っており、これを低炭素水素に置き換えるだけで、新しい設備投資を最小限に抑えながら確実なCO2削減と水素需要を生み出せます。欧州の規制(再エネ由来燃料の使用義務)は製油所のグリーン水素利用を事実上義務化する方向で、国内でも値差支援の対象として製油所・化学プラントでの利用が組み込まれています。
さらに、水素とCO2から合成燃料(e-fuel)や合成メタン(e-methane)、グリーン化学品をつくる「カーボンリサイクル」も、水素需要の将来枠として計画に織り込まれ始めました。出光興産・ENEOSのe-fuel実証、都市ガス各社の合成メタン導入目標など、既存の燃料・ガスインフラを生かしたまま脱炭素する経路として、水素はここでも基幹原料の位置を占めています。
国内の先行例としては、レゾナックの川崎事業所が使用済みプラスチック由来の水素でアンモニアを製造してきた実績があり、廃棄物由来の低炭素水素という独自の道を示しています。化学コンビナートは水素の製造・利用・貯蔵の設備と人材が揃った「水素のホームグラウンド」であり、値差支援の拠点にコンビナートが並ぶのは必然といえます。
定置用燃料電池 静かに積み上がる分散需要
家庭用燃料電池「エネファーム」は、都市ガスから取り出した水素で発電し排熱を給湯に使うコージェネレーションシステムで、国内累計販売は50万台を超えました。世界的に見ても例のない普及規模であり、燃料電池の量産・保守・住宅設備としての運用ノウハウを日本メーカーに蓄積させた意味は小さくありません。パナソニックやアイシンなどのメーカーは、この技術を業務・産業用の純水素燃料電池へ展開しており、工場やビルで水素から直接発電する製品が市場投入されています。
新たな需要先として急浮上しているのがデータセンターです。生成AIの拡大で電力需要が急増するなか、非常用電源を軽油発電機から燃料電池へ置き換える検討や、系統接続を待たずに燃料電池でオンサイト電源を確保する構想が国内外で動いています。定置用燃料電池は1台あたりの水素消費は小さいものの、台数が積み上がることで純水素の地域配送網(カードル・ローリー・パイプライン)を支える分散需要となり、水素サプライチェーンの毛細血管を形成します。
純水素型燃料電池の実装例も増えています。パナソニックは滋賀県草津市の工場で、純水素燃料電池と太陽光・蓄電池を組み合わせて製造部門の使用電力を再エネ100%で賄う実証施設を運用し、この電源パッケージの外販を進めています。ビル・商業施設・避難拠点への導入も始まっており、停電時のレジリエンス価値と脱炭素価値を併せ持つ分散電源として、定置用燃料電池は再評価の局面にあります。
分野別に見る水素需要の見取り図
図1 日本の水素等需要の想定構成(2040年・1,200万トン目標のイメージ)
水素基本戦略等の公表資料をもとにした定性的な整理。実際の構成は価格・制度の進展で変動します。
この見取り図が示すとおり、水素需要の主役は発電と重工業であり、モビリティは「見える需要」として普及を先導する役割を担います。需要の柱が太くなるほど輸入・製造の単価は下がり、それがさらに需要を呼ぶ好循環に入れるかどうか。その分岐点を左右する各国の政策と企業戦略を、次の主要企業と国家戦略で報告します。